以後オリンピックボクシング競技でメダル獲得者はいない。
1969年 メキシコオリンピック ボクシング バンタム級 銅メダリスト

森岡 栄治
不本意な判定に泣き銅メダル 五輪でのちょう落ぶりは、日本の各競技に共通する傾向だが、とりわけボクシングは深刻。 オリンピックのボクシング競技は2回戦までに姿を消すことが当たり前のようになっている。 メダリストになると、36年前のメキシコ大会バンタム級で銅メダリストを獲得した森岡栄治(近大)まで さかのぼる。「波乱万丈のオリンピックやった」。今は兵庫県川西市大和西でボクシングジム会長の 森岡は言う。 近畿大学入学以来4年間、全日本学生チャンピオンを守り続け、五輪1ヶ月前に、長野で行われた 代表候補合宿に参加した。候補選手は4人が同室に入り、朝は走りこみ、昼夜はスパーリングの日々。 数日で音を上げた。練習のハードさもだが、ライバルたちと何日も寝食を共にさせられて精神的に参った。 「このままでは死んでしまう」病気を理由に大阪に戻った。以後は、孤独な練習。昼は大学で練習し、 夜は町のジムに通った。表面上は代表争いの圏外に去ったと思われた。
しかし、「普通の生活に戻って生き返った」。代表決定試合。森岡は合宿で同室だった3人のライバルを いずれも1RでKOして代表権を獲得した。 出場が決まると、あちらこちらから「祝い金」が届き、 当時のお金で180万円にも達した。お礼の挨拶回りに時間が取られて練習不足だったが、 1回戦からよく足が動き、順調に勝ち進んだ。準決勝のソコロフ(ソ連)戦は決定打こそ 奪えなかったが、再三、ソコロフをコーナーに詰め「森岡有利」に思った。 しかし、判定は3-2で ソコロフ。 これにはメキシコの観客が怒った。「なぜ、モリオカが負けだ」。 さまざまなものが、リングに投げ込まれ、おかげで次の試合が大幅に遅れた。ジャッジの判定の不信感を 持ったが、観客の反応で納得した。「みんなわかってくれている」。 五輪後プロに転向したが、3戦目に急に右目が見えなくなった。網膜はく離だった。 知られたら引退だから、ひた隠しにして1年半もリングに上がった。しかし、もう片方の目の視力が 落ちてきた71年、11戦7勝4敗の戦績を残して引退を決意した。 その後、お好み焼屋・ジムトレーナー・不動産業などを経て、現在のジムを開いた。 ボクサー時代同様、第二の人生も波乱に富んだが、今は「チャンピオンを一人でも多く育てる」 夢に挑戦する日々だ。 |